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【内モンゴル】モンゴル族の政治囚ハダは刑務所内で拷問に晒される

中国人権 04.12.20
翻訳:まこと
 

【新たな情報は内モンゴルの赤峰刑務所での劣悪な環境に光を当てる】

 中国人権は本日、内モンゴルの有名な良心の囚人であるハダ(Hada)を至急釈放するよう要求した。ハダは「改革に抵抗している」という嫌疑のために、内モンゴルの赤峰(チーフォンChifeng)刑務所にて日常的に拷問や虐待に晒され、懲戒として極めて過酷な食事制限を受けていると報告されている。彼は非常に健康を害しており、今すぐにでも医療行為が必要であると考えられている。

 中国でもっとも有名な内モンゴルの政治囚であるハダは、モンゴル文化の保護や民族自決を訴える南モンゴル民主連合(the Southern Mongolian Democratic Alliance)に関係して「分離主義活動」および「スパイ活動」を行ったとの容疑で、1996年に禁固15年の判決が下された。

 中国人権が赤峰刑務所から最近釈放された政治囚に対して行った聞き取り調査から得た情報によると、ハダは 独房の中で金属製の「拘束板」-四方に手錠が付けられた金属製の板-の上に繋がれた状態にされるという懲罰に晒されるなど、日常的に虐待や残忍な扱いを受けていたという。この情報提供者は、ハダは他の囚人に話しかけることを禁じられ、定期的に家族と接見する機会を奪われ、適切な医療行為を受けることができなかったと語った。

 中国人権の情報筋によると、赤峰刑務所で蔓延っている一般的な収容環境は極めて劣悪であり、虐待や日常的に残忍な行為があると報告されている。全ての囚人は1週間当たり7日間16時間の過酷な労働に従事させられる。食事や衛生状態も明らかに不適切な状況である。

 不満を申し立てるための有効な手段も外部からの監督も無い状態の中、赤峰の囚人たちは様々なレパートリーの懲罰に晒されており、それらの懲罰の多くが中国が加盟している
拷問等禁止条約の第1の拷問の定義に該当するのである。

 囚人に課せられる慣例的な刑罰には、看守によって電気ショック棒が至る場面で使われることに加え、不快かつ苦痛な位置に長期に渡る期間の間立たされたり、長時間の拷問の際に金属製の扉に直立状態で手かせ足かせにされたり、囚人が横になるには余りにも狭い面積の房に移送されることも含まれると伝えられている。この広範に行われている蛮行の制度は、特定の囚人が囚人仲間の間-しばしば暴力的な者が-懲戒を行う者として刑務所当局に特別に指名されるという悪名高い「監房長(cell boss)」制度によって支えられている。

 モンゴル人の政治囚は、「国家の治安を危険に晒す行為」あるいは「分離主義」といった罪状の下で国家に脅威を与える者として当局に認定されるために、より過酷な食事制限に晒されると言われている。囚人たちは看守の中に同じモンゴル人がいても、母語を話すことを禁じられ、標準中国語のみを使わねばならない。赤峰刑務所に関する詳細、およびハダの事件に関する背景事情は、このプレスリリースの末尾に付与されている。

 中国人権代表の劉青はハダを釈放し、全ての刑務所を外部の人権監視団に公開するように中国政府に要求した。「ハダは直ちに直ちに解放され、適切な医療行為が行わなければならない。」劉青はこのように言った。「この事件は外部の調査団に対して刑務所を公開することを中国政府が頑なに拒否していることがこの地方固有の拷問や虐待の形態を継続させていることを例証するものである。」

 中国人権はニューヨークと香港に本部がある国際的な人権擁護人権状況監視のための非政府機関である。この団体は1989年に中国の科学者や学術者によって設立され、中国における普遍的人権の保護や人権保護制度の進歩のために調査、支援が必要な人たちへの援助計画を実施している。

 より詳細な情報は中国人権ニューヨーク事務所:米国(212)239-4495(Stacy Mosher(英語)劉青(中国語))中国人権香港事務所:香港(852)2710-8021(Nicolas Becquelin)まで。


【赤峰刑務所での言語同断な人権侵害】(英語-省略)

 参照:http://iso.hrichina.org/public/contents/press?revision%5fid=19285&item%5fid=19284

【ハダに関する背景事情】

 ハダは19551129日にモンゴル人の家庭に生まれた。1981年前半、彼は成長しつつある内モンゴルの学生運動において、活動熱心な運動家になった。この運動は中国に支配されている内モンゴルにおけるモンゴル人の民族的アイデンティティを保護することを目指したものであった。ハダは1983年に大学を卒業した後、モンゴル語で政治理論に関する数多くの記事を世に出した。彼は1986年に内モンゴル師範大学の研究生になり、修士学位を取得する際、彼はモンゴル固有の文化を促進するために彼の情熱を注ぎ、妻のシンナ(Xinna)とともに内モンゴルの省都のフフホトにモンゴルの学術書店を開店した。

 19925月、ハダと同志のTegexiはモンゴル文化救援委員会(Mongolian Culture Rescue Committee)(やがて南モンゴル民主連合 Southern Mongolian Democratic Alliance に改名した)を設立し、ハダは代表に選出された。この組織は1994年に「南モンゴルの声」という刊行物を出版し始め、1995年には「漢民族による植民地支配に反対し、南モンゴルにおける民族自決自由民主主義を求めて闘う」という連合の主要な使命を概説した新憲法を起草した。

 19951210日、ハダの自宅は内モンゴル公安局から来た警察によって捜索を受け、彼らはハダが手紙を交換している100名以上の国際的な学者の名前と住所が書かれた書類など、連合に関する数多くの書類を押収した。この翌日、当局はハダを拘束し、連合の活動について彼に数多くの尋問を行った。彼は199639日に正式に逮捕された。

 フフホト人民検察局は1996819日にハダに対して「スパイ活動」「分離主義活動」「敵への機密漏洩」「反革命的な武将集団の組織」という容疑で正式に告発した。非公式の審問の後、フフホト中級人民法院は19961111日、ハダに「分離主義活動」での懲役12年と「スパイ活動」での懲役10年を結合し、懲役15年とその後4年間の政治的権利の剥奪という判決を下した。ハダの内モンゴル上級法院への控訴は拒否された。Tegexiは「分離主義活動」の罪で禁固10年と3年間の政治的権利の剥奪という判決が下されたが、彼はその後「(刑務所内での)善行」を理由に200212月始めに釈放された。
(参照http://www.innermongolia.org/english/hohhot_municipal_intermediate_pe.htm)

 ハダの逮捕の後、他の10人以上の著名なモンゴル人の学者が拘束された。1216日に、ハダの妻であるシンナはハダの拘留と同志への弾圧について人々に情報を知らせるために書店の正面入口に文書を掲示した。学生たちが抗議活動に乗り出した時、当局は直ちにその活動を抑制し、シンナ自身も身柄を拘束され、「騒動を引き起こすために学生たちを煽動した」との理由で尋問された。

 シンナは1996112日に釈放されたものの、外国のジャーナリストのインタビューに応じた後、1996128日に再び拘束された。彼女は正式には告発されなかったものの、およそ4ヵ月後の412日までの間釈放されなかった。公安局はフフホトの書店を閉鎖し、一家は収入源が奪われてしまった。

 19986月に、ハダの妻のシンナは当時中国に訪問していた米国大統領のビルクリントンに公開状を送った。彼女はハダの健康問題が当局に真剣に考慮されず、彼女が一家がより容易くハダの面倒を看ることができるフフホトの刑務所に彼を移すように当局に求めたことや、彼が治療行為のために病院を訪れることが許されるよう手紙に書いた。中国の当局は彼女の要求に一度よて応えていない。

【拷問に関しての中国の国内的および国際的な義務】(英語-省略)

 参照:http://iso.hrichina.org/public/contents/press?revision%5fid=19285&item%5fid=19284

Political Prisoner Hada Suffers Torture in Prison(原文)
http://iso.hrichina.org/public/contents/press?revision%5fid=19285&item%5fid=19284

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