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「鄂爾多斯市」が誕生した背景:
 

 黄河の大湾曲地帯に位置する高原をモンゴル人は古くからボルトハイ(褐色の湾曲 地)と呼び、長城以南の漢人農民たちは河套と称してきた。15世紀以降、オルドスモ ンゴル部がこの地の主要な住民となり、次第に地域集団化の道を歩み、オルドスは地名ともなった。清朝時代に入ると、オルドスモンゴル部はイケジョー(伊克昭)盟 に改編された。イケジョー盟は7つの旗から構成されていた。中華民国は清朝の行政組織名を踏襲しながらも、内モンゴルを中国内にとどめておくために何回か内地の省 県制度を導入しようと試みたが、いずれも反対に会い(Oghonus Chogtu 2001:141-143)、全地域での成功には至らなかった。社会主義時代、イケジョー盟内 の7旗は統合されたり、分割されたりはしたが、盟旗制度そのものの廃止はなかった。 


 このように存続してきたイケジョー盟は、2001年9月28日付けで行政組織上、鄂爾 多斯オルドス市に改編された。中国の主要新聞やテレビ局はそろってこのニュースを 報じた。ここで、政府側が今回の改編をどのように位置付けているかを理解するために、地元内モンゴル自治区の『呼和浩特フフホト晩報』の報道を見てみよう。


 『呼和浩特晩報』は「〈大きい寺院〉から〈多数の宮殿〉へ―イケジョー盟は歴 史の彼方へ去り、新生鄂爾多斯市が誕生へ」と題する記事を一面に掲載した(『呼和浩 特晩報』 2001)。「大きい寺院」はイケジョーのことで、「多数の宮殿」とはオルドスをそれぞれ指す。いずれもモンゴル語の漢語訳である。いわゆる「大きい寺院」 とは、黄河の南岸に立っていた広慧寺(Vang-un ghoul-un juu)の俗名である。オルド ス部が清朝の支配下に入った最初のころ、この地で集会を開いていたことから、行政 組織名ともなったのである。一方、「多数の宮殿」ことオルドスとは、チンギス ハーンの祭殿群を指す言葉である。


 『呼和浩特晩報』はさらにつぎのような論評を加えている。「およそ300年間つづい た盟旗制度が幕を閉じ、世界とつながる鄂爾多斯市がスタートした」(『呼和浩特晩 報』 2001)。同新聞が伝える新生鄂爾多斯市は面積が8.7平方キロメートルで、総人口は139.5万人にのぼる。そのうち主体たるモンゴル族の人口は約15.8万人である。開 発可能な地下鉱物は33種類もあり、そのうち石炭の貯蔵量は中国全国の6分の1を占める。天然ガスの貯蔵量は5000億立方メートルに達し、中国の重要な資源基地である。 また、アルブス山のカシミヤは「柔らかい黄金」と呼ばれるほど、重要な畜産品のひとつとなっている。鄂爾多斯市の農民や牧民の年収は2453元(10000円≒670元 2002 年8月現在)で、都市住民は一年間に約5502元の現金を生活に使用しているという (『呼和浩特晩報』 2001)。


 このように地元メディアが熱をこめて報道しているのに対して、モンゴル人たちは意外に冷静に見守っている。彼らはイケジョー盟が鄂爾多斯市になったことで、さ まざまな危機感を抱いている。それを以下3つにまとめることができよう。


 ひとつは故郷喪失の問題である。これは、内モンゴル自治区全体に共通することでもある。いまの中国政府はかつての中華民国のように強制的に省県制度を押し付けよ うとはしないだろう。そのかわり、盟旗という名称は古臭くて、市がついた行政名の 方が進歩的である、との宣伝が功を奏しているからである。盟旗制度はたしかに清朝がモンゴルに与えたものであり、モンゴルの横の連携を遮断し、弱体化につながった 面もある。それでも、300年間もつづいた以上、それなりにモンゴルの社会制度として定着した、とも認識されている。とりわけ、それぞれの部族集団を特定の地域と結び つけて地域集団に改造したのは、ほかでもない盟旗制度である。大規模な移動遊牧こ そできなくなったものの、固定させられた「故郷」(notugh)への愛着が生まれた。モンゴル人が定着した地域にはかつての部族名や氏族名がつけられた。オルドスといえ ば、オルドスモンゴルの故郷であり、オルドス部という往時の歴史をも彷彿させる。したがって、以前にジョーウダ盟が赤峰市に、ジェリム盟が通遼市に改編された ことは、故郷の喪失につながると理解されている。


 つぎに、古い盟旗から進歩的な市に変わったことで、西部大開発運動にチャンスを求める内モンゴル自治区以外からの漢人が大量に流入してきたことである。1982年に 政府が四川省から内モンゴル自治区へ移民させようとした時、学生運動が発生したことがある。大規模な移民は民族意識を刺激しかねないことから、現在建設中の三峡ダ ム周辺の住民を内モンゴル自治区へ移住させるようなことは政府は進めていない。し かし辺境の少数民族地域の活性化を促進するという名目で、人口移動は黙認するだろう。


 盟が市になり、漢人が増加してモンゴル文化が衰退してしまうのではないかという印象を与えてしまった事例がある。それは新生鄂爾多斯市の英文表記の問題である。 鄂爾多斯市の英文表記は現在、Erdusiとなっている。これは漢語の「鄂爾多斯」のローマ字表記(ピンイン)であり、モンゴル文字を転写したものでもなければ、モンゴ ル語口語を忠実に記したものでもない。Erdusiをモンゴル語発音に近いOrdusあるいは Urdusという表記に改めるべきだとの意見はまったく無視されている。そもそもイケ ジョー盟を市に変えた段階で、過去にジョーウダ盟が赤峰に、ジェリム盟が通遼にされたのと同様に漢語の市名にならなかったのは、地元の大企業「鄂爾多斯羊絨カシミ ヤ集団」を一層宣伝するためである。つまり、今回の改名は、なにもオルドスモン ゴルというモンゴル諸集団のなかで特別な歴史をもつ部族集団の存在を強調するために採用したものではない。あるいはこの地域に存在するチンギスハーンの祭殿群と してのオルドスを意識したものでもない。ブランドとしての「鄂爾多斯羊絨」を一層販売するための策略にすぎない。


 いまや中国の主要なテレビチャンネルで毎日のように「鄂爾多斯羊絨」のコマーシャルが流れるようになった。「ErdusiをOrdusやUrdusに変えてもいい。ただし、国 家工商局で商標登録をしている以上、改名の費用をモンゴル人はもつか」と、地元企業の幹部が言い放ったそうだ。モンゴルの部族名やチンギスハーンの祭殿群と無関 係の「鄂爾多斯市」の存在に、モンゴル人は満足しなければならない。少数民族地域の地名をローマ字や英語でどのように表記するかは、一鄂爾多斯市にとどまらず、中 国全土に共通する問題でもあろう。


 新しく誕生した鄂爾多斯市の2002年は、雨の多い一年間だった。雨が多くても、鄂 爾多斯市の水不足の問題は一向に解決されていない。


 鄂爾多斯市の政府所在地は東勝区(旧東勝市)にある。『東勝市誌』にはつぎのよう な記述がある。東勝区は標高約1500メートルの高原に位置し、年間降雨量は約400ミリ である。東勝の周辺には季節的に水が流れたり、なくなったりする内陸の尻無し河しかない。地下水位は深く、10メートル以上掘らないと水がでない(『東勝市誌』編纂委 員会 1997:3-12)。1990年の統計では約14万人の住民を抱えていたが(『東勝市誌』編纂委員会 1997:3-12)、大企業が増加し、人口は以前よりも増えている。

 
 1980年代初頭に私が東勝市の学校に通っていたころ、夏になると断水の日々がつづいた。学校の食堂は営業が中断され、市販の水を買いにでかけたものだった。その後 若干改善されたとは聞いていたが、本質的に改善されたわけではない。政府は黄河の 水を東勝へ引く「導黄工程」というプロジェクトを一時計画していたが、標高の落差が大きく、莫大な費用がかかるため、中止されて長くなる。そこで、市政府所在地を 現在の東勝区から西へ数十キロ離れたところのカーバクシという地へ移転する計画が 進められている。カーバクシには河川があり、地下水も豊富で、立地条件が優れているという。このように、「鄂爾多斯羊絨集団」という大企業を優遇し、工業の発展を 目指して盟を市に改編したものの、早くも水不足問題で頓挫しているのが事実である。


楊 海英(ヤン ハイイン)
静岡大学人文学部社会学科文化人類学講座
電話(Fax) 054-238-4501
E-mail:jhyang@ipc.shizuoka.ac.jp

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