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内モンゴルの民族教育にめぐる諸問題

フレルバートル

「特別報告に対する編集者のコメント」

    最近になってにわかに、日本の学界においても「危機に瀕した言語」話題に上るようになった。それがendangered language の訳語であることが物語っているように、このような言語そのものの研究にとどまらず、危機からの救出を目指す運動は、日本では内発的であるよりも、たいていは外からのモデルをあてがわれることによって、やっと安心して動きはじめる。その「危機に瀕した言語」と言う枠で理解されるのは、通常、数百人、多くて数千人の母語話者似よって話される、文字を持たない少数言語であることが多い。

     しかしここで報告されている内モンゴルのモンゴル語のように、数百年にわたる文字の伝統があり、国境を一つ越えれば国家語のステイタスを持っている言語にして、なお危機に瀕しているを言語学者建ちはほとんど口にしない。彼らの関心が,コーパスの記述のみに限られ、またそうすることがアカデミックな態度であると思い込むようしつけられているからである。話し手数百人の危機言語の研究は、レッドデータブックの希少植物のように、其の記録と採取は、無害な純学問研究として、いかなる国家も異論をとなえたり抑圧たりはしない。なぜならそれは重大な影響を及ぼす政治勢力になる見込みは内からだ。それに反して、ここで報告されているような言語についての詳細な、事実に基ついた研究は、求めてもほとんど得ることができない。私は執筆しゃにかなりの無理を強いて、この報告をよせていただいた。

     この報告には、もちろん不足な点や欠陥があるかもしれない(そのことは誰よりも執筆者自身が最もよく知っている)。それにもかかわらず、民族の母語が、いかに経済的、政治的要因によって支持され得なくなり、話し手自身によって放棄されていくか、其の過程を具体的に示している。この報告について感じられる不足や欠陥は、著者の力量の問題によるのではなく、主として、彼の置かれた状況によるものであることを読者は明察されたい。(田中克彦)

1990年だいの初期、東欧の民主化やソ連崩壊により旧モンゴル人民共和国でも民主化が進み、もんごるの名が西側の世界にも広く知られるようになった。特に日本のメデイアは近年モンゴルについての報道に力を入れ、モンゴルの現状をいろいろな角度から紹介するようになった。しかし、それはモンゴル国に関する内容がほとんどで、モンゴル国の人口を倍ぐらい上回る内モンゴル自治区をはじめとする中国領内のモンゴル民族の現状についてはあまり触れていない。東欧の旧社会主義圏や現在のモンゴル国で政治的民主化に伴い、資本主義の市場経済への改革が進められている。中国においては政治的民主化はともかくとして、市場経済への移行は東欧圏よりも早く、1980年代の初期からすでに行われはじめ、現在はまさに経済的高度成長時期に入っている。この高度成長に伴う諸問題や社会的矛盾がすでに多発している中国ではとりわけ、沿海地域と内陸との間の貧富のさ、少数民族地域の経済的自立の問題や市場経済による民族伝統文化破壊の危機の問題が生じている。こうした状況の中で伝統文化を保ちつつ教育、文化面で近代化を進めてきた中国内のモンゴル民族の現状、特に民族語による民族教育にいかなる変化が生じ、民族教育がいかなる危機に直面しているか、本稿ではこうした市場経済によって生じたダイナミックな変化がモンゴル民族の民族教育に与えた影響に焦点をあてて論じることにする。

1.      内モンゴルにおけるモンゴル語の状況

モンゴル民族は今世紀の初頭、孫文の革命時代からマンシュー族やチベット族などと共に中国の主たる民族の一つに数えられ、新中国の建国以降、1950年だい半ばころは中国少数民族識別の認定による55の少数民族に一員とされた。現在モンゴル民族は内モンゴル自治区をはじめ、新彊ウイグル自治区、青海省、甘粛省、吉林省、黒龍江、北京などの約10の自治区や省()に分布している。1989年の国勢調査による中国におけるモンゴル民族の総人口は4,806,849人である。

内モンゴル自治区は十数の民族により構成されている。1990年の統計では内モンゴル自治区の総人口は2145.7万人である。其の中で漢民族が1729.87万人であるに対し、モンゴル民族の人口は337.5万人であるので、モンゴル民族は全自治区総人口の15.73%を占めるに過ぎない。さらに、内モンゴルのモンゴルぞくのなかで実際にモンゴル語を母語としている人口は220万人で、モンゴル人総人口の88.36%にあたる。其の中でモンゴル語と漢語(日本で俗に言う「中国語」のこと―――編集者)が併用できる人口は11%で、漢語がある程度理解できる人口は19%を占める。それに、漢語がまったく理解できず、モンゴル語のみでコミュニケーションを行う人口が58%である。

モンゴル語の使用状況は地域によって事情が異なるが、モンゴル語が話せない人たちは基本的に大、中都市に集中している。それ以外に漢民族居住地と隣接する地域や漢民族と雑居するところでは漢語への同化がもっと深刻で、地域によってモンゴル語を完全に失い、漢語を母語として使用する人たちも少なからずいる。現在の内モンゴルにおけるモンゴル民族語の使用状況およびその変遷過程を次の四つの段階に分けて考察することが可能である。

(1)民族語を失い、言語的に漢化された人々

ここに分類される人々の典型的な例としてフフホト市(現在内モンゴル自治区の首府)周辺に位置するトメド左右両旗のモンゴル人たちを挙げることができる。

19世紀以来この地域に大量の漢民族の移民が入植したことにより、この土地の元来の住民であるモンゴル人の伝統的な生活文化などに大きな影響を与え、著しい文化的変化をもたらした。それは入植者であった漢民族の人口が土地の住民の人口を大きく上回ったことと深い関係がある。その結果彼らが代々使ってきたモンゴル語はこの土地から完全に消えた。このような民族語を完全に失った人口は全自治区内には29万人に達し、自治区総人口のモンゴル族の11.64%を占める。

(2)モンゴル語を第二言語として、普段は漢語を使う人々。

都市部や町に住む若い世代の中に最も多く見られる。こういう人たちは家庭の中では家族とモンゴル語で話しても、学校ではすべての授業を漢語で受けているほか、外でのコミニケーションも基本的に漢語で行っている。

(3)漢語とモンゴル語の混合語を使う人々

このような混合語で話すモンゴル人は内モンゴルで決して少数派ではなく、地域的分布もかなり広い。

(4)比較的純粋なモンゴル語で話す人々

ここに分類されるモンゴル人たちは漢語の影響をほとんど受けることなく、自然なモンゴル語を使用しているが、地域的には主として、中国領内のモンゴル語の標準語であるチャハル方言地帯や中部のシリンゴル盟を中心とするものである。 そうした地域の大きな特徴の一つとしては、まずモンゴル民族の伝統的な文化、生活が維持されていることが挙げられ、それによりこうした地域では他の地域に比べ、モンゴル語が自然のまま保たれている。当然、モンゴル語にも方言の違いがあり、中国領内のモンゴル語は次の三大方言に分類される。

一,          東部方言:内モンゴル自治区東部のホロンボイル盟に位置するバルガ、ブリヤート方言。

二,          中部方言:ほぼ内モンゴル自治区の全領域で話されているモンゴル語方言。

三,          西部方言:新彊ウイグル自治区や青海省と甘粛省にすむオイラトモンゴル人の間で話されているモンゴル語方言。

東部方言を話すバルガ、ブリヤーとモンゴル人の言葉は外部からの影響が少ない方言である。だが、音韻や語彙の面では他のモンゴル語方言と異なる特殊な要素も多かったガ、字地区内での教育の普及や他の地域との交流によりそれがだんだん失われつつある。

中部方言の中ではハラチン下位方言、ホルチン下位方言の話し手が最も多いガ、農耕化が進み、漢文化の影響を強く受けているため、これらの地域のモンゴル人は混合語の話し手としてよく知られている。それが内モンゴルのモンゴル語の行方や運命と大きくかかわってくるものと見られる。

中部の方言で最も重要な役割を果たしているのはチャハル下位方言である。と言うのは、この方言は中国領内のモンゴル語の標準語として定められているからである。したがってこのチャハル方言は内モンゴルにおけるモンゴル民族の言語的統一やモンゴル語を漢語混じりの混合語から守る上で大きな役割を果たしている。

フフホト市は内モンゴル自治区の政治、経済の中心地であるが、モンゴル民族の文化やモンゴル語の標準語地域の中心にはなり得ない。と言うのは、すでに触れたように、この都市の周辺地に住むモンゴル人たちは早くも漢文化に同化し、民族のことばを失っているからである。

少数者の言語であるモンゴル語が大言語である漢語の強い影響を受け、内モンゴル全体においてモンゴル語を話す人々の中で、漢語やモンゴル語の金剛語が進み、地域によってはすでに言語的推移も起きているところがある。こうした言語状況の影響を受け、内モンゴルではモンゴル語による教育の面でいろいろな問題が多発し、最近はもっと深刻になっている。民族語で教育を受けているということはその民族のことばが維持されていることの証拠でもある。逆に言えば、民族語で教育を受けられなくなると言うことは、その民族後も危険に直面していることを意味する。したがって民族語を維持していく上で民族語による教育は最も大事である。

1949年のし中国の建国後、中国共産党はそれ以前の中国の支配者であった国民党政権とは一線を画する少数民族政策を実施し、漢民族以外の民族集団の独自の文化についても配慮し、少数民族の言語、文化を保護し、発展させる政策を取った。その背景には社会主義国家の先輩であった旧ソ連の民族政策があったことは言うまでもない。その結果、1950年代前半は内モンゴルにおいては民族言語文化、民族教育の黄金時代とも言われるように,めざましい発展を遂げたのである。このように内モンゴルでは1950年代から自治区全域においてモンゴル語による学校教育制度が整い、民族学校がだんだん増えてきた。それに伴い、モンゴル語の教科書をはじめ、モンゴル語の出版物も増大した。しかし、こうした状況は1960年代後半から始まる「文化大革命」の十年間に大きく後退し、民族文化、教育の破壊が徹底した。それ以降は「文化大革命」の過ちを正し補償すると言う意味合いもあり、1980年だいの初期から内モンゴルにとっては1950年代に次ぐ第二の民族言語文化、民族教育の発展の時期を迎えた。それにより、内モンゴルでは民族後による教育が全面的に復活しただけではなく、新設の学校も大幅に増え、それまでになかったモンゴル語による専門学校や大学の講座も設けられ、モンゴル人生徒の進学率が著しく増えた。例えば、1990年の段階ではモンゴル語による講座を持つ中等専門学校と大学がそれぞれ3010校になった。当然こうした状況は民族語による出版物にも大きな影響を与えた。その結果、モンゴル語による教材の種類は350に登り、出版部数は650万冊に達した。それ以外の出版物を含め、1989年末には内モンゴル自治区の六つの出版社から12584種類のモンゴル語出版物が発行された。

しかし、1990年代以来、市場経済の原理が社会全体に導入されたことにより、内モンゴルにおけるモンゴル民族の民族教育の状況は大きく変わり、危険的な時期を迎えようとしている。

今の内モンゴルのいろいろな言語問題を探求する際、まず学校における民族教育のさまざまな問題に取り込まなければならない。いうまでもなく、基礎教育、学校教育はその民族の将来、具体的には、その民族の言語や文化の存在と発展にとって大きな影響を及ぼすものである。

2.内モンゴル自治区における民族教育

1989年の統計によれば、全自治区におけるモンゴル語で教える幼稚園は79あり、そこで勉強する子供の数は32581人に昇った。民族小学校は3184校あり、その中でモンゴル語で授業を受ける小学生は227384である。モンゴル語の中学校や高校は203あり、漢語とモンゴル語の混合学校は117校である。モンゴル語で授業を受ける中学校と高校の生徒の数は、106051人である。モンゴル語や民族語で授業を受ける中等専門学校は38あり(その中でモンゴル語による専攻の数は30である)、いろいろな専門学校で勉強している少数民族の生徒は12672人である。その中でモンゴル人は11205人である。自治区にある19の大学では107科目の講座が設けられているが、その中でモンゴル語で授業を受けることができる大学は10あり、講座は23しかない。1989年大学に大学に在学中のモンゴル人大学生は、7364人であり、その中でモンゴル語のみで授業を受ける学生はわずか3684人であるから、モンゴル民族の大学生の50%が漢語で勉強していたことになる。

内モンゴル自治区では普通ソム毎に一つの小(中)学校、ホショー(旗)毎に一つの高等学校が設置されている。いくつかのホショー専門学校もある。都市部や町に住んでいるモンゴル人の子供たちの多くは、いろいろな事情によって母語であるモンゴル語を学ぶことができず、だいたい漢語を第一言語として勉強しているため、民族教育の拠点をなすのは田舎の子供たちである。

モンゴル人の子供たちは一年生のときから、自分の母語であるモンゴル語を学校で受講のためのことばとして学ぶほか、小学校三年生になると漢語の授業が始まり、漢語を学校で学びはじめる。

近年、中国全土で行われている改革開放の政策によって、昔の中国の教育制度と教育体制などが変化する中で内モンゴル自治区のような地域における民族教育もいろいろな挑戦を受け、今後の民族教育の行方は深く懸念される状況である。

周知の通り、改革開放以来、内モンゴル自治区を含む中国全土で経済は大きな発展を遂げてきた。その影響を受け、教育の面でもいろいろな新しい問題が出てきた。

内モンゴルはモンゴルの自治区であるために、民族教育は内モンゴルの教育全体最も大切な一環であり、モンゴル民族の言語と文化の維持やモンゴル民族の文化的自立、さらに、民族地域の経済成長や発展などにもかかわる大きな問題の一つである。

中国の他の地域の比べ内モンゴル自治区の経済的成長や経済的発展は立ち後れた状態を見せてきた。このように経済的発展の立ち後れと経済体制の転換のために民族地域の教育方針や政策なども多くの不安定な要素含むようになってきた。 

3.モンゴル民族教育が直面している諸問題

(1)    経費不足都民族学校の不景気

地域の民族教育の重要性について政府の認識が不十分であるため、ここ数年間内モンゴル自治区の民族学校の経費が減少しつつある。シリンゴル盟のソニド左旗の199193年の三年間の経費を比較して見ることにしよう。

 

              1991          1992          1993

 

総経費              240.7万元       2641万元      2631万元

公用経費比率        254          216         163

中学生一人当たり    115           102           61

小学生一人当たり    101           96            73

毎年国家予算から経費を支出してもらい、民族学校を援助することがあっても毎年増える生徒に対してその金額はほとんど変わっていない。物価が上昇する中で民族教育に実際に使われている金額の比率は減少している。上に上げたのはソニド左旗の例だけであったが、経費の減少は決してこうした一つの旗に限られたものではない。それ自治区全体の存在している普遍的な社会問題であり、その数字が旗、県など地方によって多少異なるだけである。ホロンボイル盟のエブエンキ旗の民族教育に使われた金額は、1991年の540.7万元から92年の710.8万元に増えた。しかし、物価の上昇などの原因もあって実際に教育のために使用されたのはわずかであり、その中で85%が給料など個人の報酬のために使われた。

このように民族学校は経費不足のためにいろいろな新しい問題を抱えるようになった。経費が少ないため、国や自治区政府から出している資金の大部分は給料などに使われ、学校の建設などに使われたものは少ない。教室の中の机やいすなどの設備も不十分な状態が続いている。こうして、地方の多くのところでは教室や寄宿舎が不足している。そのため多くの生徒たちが危険な校舎のなかで勉強している。例えば、ホロンボイル盟の小学校では125000平方メイーターの危険な建物が使用されている。30ソムの小学校では寄宿舎や食堂なども整っていない。

民族文字で編集された教科書が出版できないままであることもよく見られることがある。多くの学校では読物や実験器材がほとんど揃っていない。

「民族自治区の自治法」では少数民族の学生に対しては、奨学金制度を設けるような内容も含まれている。だが、経費不足のため、多くの地域において、その「自治法」に基ついた新しい奨学金制度や奨学金の支給がないばかりではなく。以前からあった奨学金制度が取り消されたケースも多い。奨学金制度が維持されている地域においてもその金額は196070年だい低い標準のものであるから、現在の物価の状況から見れば、その奨学金も現在の生活水準から程遠いものである。

学校によっては冬のスチームのためのボイラーを沸す石炭を買う資金すらないところがある。資金がないため、文化的活動やスポーツの面でも制限を受け、それが生徒たちの健康や成長にも悪い影響を与えている。

(2)    学費と生徒の学校中退

この数年間内モンゴルの田舎では学校を中退する生徒が急増してきた。それには個人や家庭によりさまざまな原因があることはいうまでもない。しかし、その主な原因は学費の問題であることは明らかである。これまでは国から提供拠されてきた地方や少数民族地域の学校を援助するための資金も最近は減少される一方で、完全停止する場合すらある。自治区政府にはそれを補給する経済力が内のか、それともそのための努力が不十分七日、基礎教育、すなわちこれまでは義務教育だったはずの学費のすべてを個人が負担しなければならなくなっている。経済状況は家庭それぞれにより異なるため、子供の学費を払える親もいれば、まったく払えない親もいる。しかし、現在の内モンゴルの全体の状況から見て、子供の学費が払えない家庭は決して少なくない。それがモンゴル人が最も集中する経済発展から立ち遅れた辺鄙な地方ほど深刻であることには留意すべきである。

例えば、1990年に赤峰市のアルホルチン旗では552名の生徒を募集したが、そのうち204名が学校を中退して家へ帰ってしまった。これは募集生徒の36.9%をも占めるものなので驚くべき数字である。同じ赤峰市のバーリン左旗でも1990年に募集された320名の中学生のうち、1993年の段階まで在学していた生徒がただ140名にすぎず、他の生徒は全部学校を中退している。ここでは対中した生徒の数が募集した生徒の半数以上を上回って折り、全生徒の56%を占めている。

現在の内モンゴルでは数十年の近代教育を経過した結果、たとえ最も辺鄙な地域の遊牧民でも自分の子供を学校に送り、勉強させる重要性を知っている。昔は遊牧民の間では子供を学校へ送ることに認識不足はあったが、せめて新聞が読めて、手紙が書ける程度にしてもらいたいとの親の時代は昔も現在もそう変わっていないであろう。少なくとも、子供を学校に送りたくない親はまずいないと思って差し支えない。できれば自分の子供を大学まで行かせ、生来出生してほしいと思う子とは遊牧民の間でも珍しくない。だが、収入が少ない家庭や労働力のない家庭にとって数人の子供の学費を同時に支払うことはともかく、一人分の学費を払うことすら大変厳しいことで、それをどこまで続けられるかはまったく保障できない。このように学費の支払ができないためにこどもに学校を中退させざるをえないは決して少なくない。またそのために無理に登校を止めさせられた子供の数も多い場合には一世帯に数人を数えることができる。

最近は普通の生活を維持するだけで精一杯の人々が多く現れているのでそういう家庭のこどもたちは学校に行くことがあきらめるしかない。

現在は中学生の一年間の学費が1500元に上昇し、小学生も年間1000元以上の学費を払わなければならなくなっているようだ。この金額が現地の人々にとってはどれぐらいの負担であるかは、一世帯、または一人あたりの一年間の収入を見なければ想像できないだろう。現在の内モンゴル自治区では一人あたりの一年間の平均収入が34百元にも足りない貧困な家庭が数多く生まれているので、その金額はこういう貧困家庭の数人分の年間収入に匹敵するのである。

(3)    教師をめぐる問題

内モンゴルでは民族学校においては教師陣の人材不足が深刻な問題になっている。それに教師の給料が少ないことや待遇が悪いことがよく知られている。そのためにこのような経済的事情を理由に転職し、職場を離れる教師も増える一方である。それに伴い最近は教員免許や同等の資格を持たない教師が急増している。ある地域ではその数が免許を持っている教師の数をはるかに上回っていることも事実である。田舎にある小中学校、あるいは辺鄙な地域の学校に赴任する人が少ないため、それらの地域で教師不足で国家の教師認定試験に合格していない人たちも学校で教師を務めている。オランーチャブ盟のドルベド旗では小学校でモンゴル語を教える専任教師は280人で、その中で認定試験に合格市、教員免許をもつ教師は61.3%を占めている。中学校の場合は教員免許をもつ教師はわずか23.3%を占めている。ホロンボイル盟のエブエンキ旗では小学校の教師の合格率は73%、中学校教師の合格率は51%、高校の教師の合格率はわずか36%にすぎない。

内モンゴルでも一般的に経済や文化的発展が立ち遅れている地域や辺鄙なところへ教師として赴任することは人々に嫌われている。大学を卒業し、国からの任命で配属されて来る教師たちの間でも他の職業を求めて教師をやめる人は少なからずいる。例えば、ホロンボイル盟では1991年から1993年までのわずか三年間に転職した教師は1976人に達した。

(4)    モンゴル民族教育の危機

現在の教育制度や教育改革を含むいろいろな面でも不合理なことや緊急解決が迫られている問題が山積みされていることも指摘して置かねばならない。内モンゴルは民族自治区である以上、モンゴル民族を含むすべての少数民族のことばや文化を保障できるような教育制度を確立しなければならない。モンゴル語の場合は、都市では幼稚園から大学までモンゴル語で勉強できる完全な教育制度が設けられていない。そのため、民族のことばや文字を自由かつ自然に習うことは大変難しい問題隣、やむをえず漢語を第一言語として習得する人々が多くなっている。都市ではモンゴル語やその文字を教える幼稚園などはほとんどないし、あっても名ばかりのもので、そこで話されているのは基本的に漢語である。都市で育った数多くのモンゴル人の児童は生まれながらに自分の民族語を学ぶ権利を奪われ、巨大な漢語の世界に溶けていくようになっている。それにより、親子二代のあいだですら母語を失うことによる文化的断絶が生じ、子供たちは母語であるはずの親のことばとはまったく異なる別の言語を母語にしていく。当然、彼らはこのように漢語を母語として意識し、それを使用していく過程で家庭よりも外からの影響を強く受けていくものである。

これらの子供たちにとってモンゴル語は家庭内のことば、親同士のことば、親子の間で使われる特殊なものであるにすぎず、それを外や町に出て話すのは恥ずかしいことである。それで彼らは人の前で恥じをかかないように漢語でしゃべるのは当たり前のことと考えている。

中国には「祖国」ということばがあって、私たちは子供のころからその意味をよく分からないままに、祖国は母なるものであると教科書などによって勉強したことがある。内モンゴルでは「祖国よ、母よ」という映画まで作られたことが今も記憶に残っている。漢語はいつも国家語の地位に立ち、しかも同時に母語と呼びうるのだろうか。

都市にいるモンゴル人の子供が漢語を第一言語とすることは以前からもあったが、特に「文化大革命」の10年間はモンゴル語を学ぶ人はほとんどなくなった。これに対して最近から政策も変わり、モンゴル人の子供たちは自分の民族語を学校で勉強できるようになった。完全に漢語化された地域などでもモンゴル語の学校を造り、子供たちにモンゴル語を教えることによってモンゴル語を取り戻そうという事例もあるが、至難のわざである。

最近になって田舎でも子供を漢語の学校に送るケースが増えている。例えば、1982年に内モンゴル自治区ではモンゴル語で勉強する小、中学生は全モンゴル人学生の73%を占めていたのに対し、1995年は50%にも足りなくなったのである。都市部、あるいは言語的にほとんど漢化している地域ではその数はさらに減少し、10%まで落ちている。

1989年の段階では全自治区でモンゴル語で勉強する生徒や学生と漢語で勉強する生徒と学生(モンゴル人)の比率はそれぞれ幼稚園では56.1:43.9で、小学校では59.7:40.3で、中学校では58.6:41.4で、高校では59.5:40.5である。さらに中等専門学校では、67:33で、大学では51.2:48.8になっている。

1984年に全自治区内で募集された21472人の大学生の中で、モンゴル語で勉強する学生は2760人で、全体の12.86%を占めていた。1993年に募集された37290人の大学生の中でモンゴル語で授業する者は3051人で、全体の10.29%を占めるに至った。ちょうど10年後の1994年にはその比率がさらに変わり、38606人の大学生のうちモンゴル語で授業する人は2489人になり、その全大学生に対する比率が6.45%しか示さなくなった。

モンゴル人の子供たちが漢語の学校に通う流れはすでに定着し、上記の比率から見ても毎年モンゴル語で勉強する学生の数は減少していることが分かる。今後もその比率がますます伸びていけばモンゴル語による教育の必要性もなくなる時代も訪れるだろう。

モンゴル人が民族のことばを勉強せず、漢語の世界に加わっていくには以下の諸原因が考えられる。

1)                           改革開放以来、少数民族のことばの使用範囲が次第に狭くなってきていること。

2)                           少数民族に児童が自分のことばや文字を学ぶことが、社会的に十分注視されておらず、それに対するなんら具体的な政策がないから。

3)                           モンゴル語で勉強した生徒たちにとっては、大学の進学の道が漢語の場合とは比較にならないほど狭いことはいうまでもない。しかし、モンゴル人の生徒たちが目指しているのは漢語を習って中国の名門大学に入ろうという願望よりも、とにかく民族語で大学まで進学することである。このように進学の道が狭くなっているので、これをもってモンゴル語を捨てて、漢語で勉強していく主な理由として挙げることができる。

4)                           モンゴル人の子供たちは二つあるいは三つの言語を勉強するので、相当時間がかかり、負担が重くなり、その学習成績にも当然影響を及ぼすものである。そのため直接漢語で勉強する人もいる。

5)                           内モンゴル自治区の大学や中等専門学校などではモンゴル語で授業を受ける学部や研究科が少ない、あるいはまったくない。全自治区にある19の大学のうちにモンゴル語で授業を受けられるところは10カ所に限られている。それはモンゴル語やモンゴル文字など民族的なもののほか、自然科学の専門などそのたの数科目に限られている。内モンゴル自治区の学問や学術研究の中心でもある内モンゴル大学ではモンゴル語で勉強できる学部はモンゴル語学科のみである。1970年代末期から80年代の初期には哲学部でもモンゴル語のクラスが設けられていたが、それもその後はまもなく廃止された。1981年は同大学の外国語学部でモンゴル語で受講できる日本語を専攻する学生が募集されたが、それも最初で最後の一回きりで終わった。

中国では民族教育を援助するため少数民族地域に毎年約2000万元が国家予算から支出されている。そのなかで内モンゴル自治区に支出されている金額は毎年おおよそ100万元である。内モンゴルで書くレベルの民族学校は約3500校あり、いずれも経済的に大変厳しい状況に置かれている。したがって上記の金額では問題解決はなお程遠い。

1950年代以来、内モンゴル自治区の大学を卒業した少数民族は約16千人であり、その比率は人数から見れば全国に平均水準を越えているけれども、西洋医学をはじめ、経済、法律、理学、貿易、金融など現在のモンゴル民族にとってなくてはならない実用的な分野を専攻した人材は非常に少ない。 

4.モンゴル民族教育の今後の道

現在内モンゴルの民族教育が直面している厳しい状況に注目し、その改善を図るために、われわれは次の諸点に注意すべく、以下私見を簡単に述べることに使用。 

(1)    民族区域自治法」を民族地域での教育上の法的根拠と見做し、民族地域の民族教育はそれに従って行われることが大切である。 

(2)    係機関が教育制度の改革を経済体制の改革の中に組み込み、その重要な一環として捕らえていくべきである。また、民族教育の面ではその地域と民族の文化的な特徴や経済的状況に適応した具体的な対策を考え、実行に移す必要なあろう。そうすることによって、内モンゴル自治区独自の民族教育体系が徐々に形成され、完備するだろう。自治区政府をはじめ、各地の関係機関は国家の民族政策に従って、現地の状況に適用する民族教育を実施すべきである。

(3)    族地域に対して国家がもっと多くの資金や援助を出すことは今後の民族教育の発展にとって欠かせないものであろう。そのうえ、自治区政府も貧困地域や辺鄙な地域を援助して、その教育を発展させることが大切である。過去の奨学金せいどを完全に回復させ、学費のため、学校をやめた生徒たちをすぐ学校へ戻れるようにいろいろ努力しなければ、奨学金制度を設置するのは一番大事なことの一つである。

(4)    教育体制の改革。長期にわたり、民族地域での単一化した民族族教育が行われてきた。こうした教育制度はすでに現在の経済発展に適応できなくなり、その体制への改革は迫られている。民族地域において基礎教育はあるものの、成人教育や専門教育は発展しなかった。そのため、モンゴル民族の経済発展に必要な専門家や人材が大量に不足している。民族地域において民族の基礎教育を重視すると同時に専門教育や成人教育にも力を入れるべきである。そうするためには旗や盟など現地の経済的状況に基ついて、中等専門学校を設けるほか、普通の民族学校や高校にも専門的な科目の受講を可能西、徐々に増やしていくことが必要である。 

(5)    学校中退の問題。貧困など経済的事情により学校を中退した生徒たちが復学し、通常の教育が回復されるように努力をすべきである。これを実現させるためには、関係機関から少なくともこれらの生徒たちの学費や生活などを援助することが大切である。 

(6)    現在、中国では中小学校の教師の待遇が悪く、給料が少ない。さらに、社会的地位が低いことなどはよく知られているが、内モンゴルでもこうした状況は深刻である。そのために、教師の転職や退職の問題は普遍的に生じるようになっている。この問題を解決する唯一の方法は、供したちの社会的地位を高め、経済的待遇を改善することがある。具体的には教師の給料を増やすことが緊急の課題である。内モンゴルでは教師の給料が少ないばかりではなく、支払が数ヶ月も遅れることがすでに深刻な問題になっている。この問題が教師たちの不満を引き起こし、民族教育の正常な発展に悪影響を与えていることを認識すべきである。

(7)    教師陣の質的向上を図ること。教師たちの質がいかんであることは、民族教育の正常な発展にかかわる重大な問題である。従って、教員の資格認定制度を強化し、教員免許を有しない教師への雇用制度を見直すべきである。また、これを民族教育体制への改革の重要な一環とみなすべきである。それと同時に優秀な教師に対する奨学金制度を設けるか、あるいは彼らの給料を上げるなどの措置を取ることによって彼等の民族教育への貢献を評価すべきである。

(8)    なんらかの方法や措置をとることにより、モンゴル語を勉強する生徒の数を増やすことに力をいれるべきである。近年漢語の学校に通うモンゴル人の子供たちが急増している主な原因は漢語の方がモンゴル語より有利であり、モンゴル語の勉強には将来性がないと言う考え方にある。こうした状況を改善させるためにはまずその父兄たちに対し、民族教育の大切さを理解してもらう必要がある。次に、学校の施設や設備などの面において民族学校では漢語の学校に匹敵するほど、あるいはそれよりもよい環境を整えておくことが重要である。そのほか、民族学校のみの特別奨学金制度や授業料免除制度を導入する必要がある。当然、これには一定の資金が必要である。

(9)    内モンゴルではモンゴル語による民族教育はソムや旗などに集中しているものの、都市部や町にも民族教育の問題がある。以前(特に「文化大革命」の時)は、都市部や町に住むモンゴル人の子供の民族語による教育は無視され、モンゴル民族でありながらも漢語を学ぶのは当たり前のことのように考えられてきた。現在も都市などではモンゴル人のこどもが民族語を自然に獲得し、民族語で進学できるような環境や条件が完全に揃ったとは言えない。そのため、民族語を失い、漢語を母語とするケースが多いのである。その主な原因は、都市部などではモンゴル語で教育を受ける幼稚園や小学校がほとんどない、あるいはまったくない。現在、フフホト市では、モンゴル人住民の人口は約6万人であるが、モンゴル語で教育を行う幼稚園は二つしかない。筆者の出身大学である内モンゴル大学附属の幼稚園では、モンゴル人たちの子供にはモンゴル語を教えるクラスがなかった。最近モンゴル語のクラスを設けるように大学当局にたいして求めたが、結局は受け入れられなかった。幼稚園でモンゴル語による教育を受けることができるかどうかはそのこどもが民族語を身につけることができるかどうかに直接関係があることを筆者自身や周りの人々の経験から実感してきた。

(10)民族教育の正常な発展のためには、その民族語を習得することが欠かせない。内モンゴル自治区では大多数のモンゴル人のこどもはモンゴル語を第一言語として、小学校から大学までモンゴル語で教育を受ける。民族語を母語とするモンゴル人の多くは子供にモンゴル語による教育を受けさせることを望んでいる。こうした念願を考慮に入れて関係機関は彼等に進学の道を開いてあげるため、自治区内の大学や専門学校でもモンゴル語で受講できる講座や専攻を積極的に増やすべきであろう。

 400万人の人口をもつ中国のモンゴル民族は、巨大な中国のなかでは少数民族であることにはかわりないが、モンゴル民族は人口からみても居住地域の広さからみても民族語で近代教育を発展させていく条件を充分に備えている。それを実現させるには民族語によって教育を行うことが最も現実的で、最も効果的である。

注:

(1)    中国社会科学院民族研究所  国家民族事務委員会文化宣伝司  主編  「中国少数民族使用状況」18 中国蔵学出版社  1994 北京

(2)      18

(3)    劉世海主編「内蒙古民族教育発展戦略概論」4143  内蒙古教育出版社  1993

(4)    巴図巴根「大力発展民族教育促進民族地域経済発展」  〔内蒙古社会科学〕 36  第三期  1995

(5)    劉世海主編 前掲書  192

(6)    281

(7)    巴図巴根   前掲論文 37

(8)    劉世海主編 前掲書  140

 

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