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  南モンゴルでロケットの爆発が目撃される
   
ラジオ・フリー・アジア
201488
ワシントン DC
 
 
 
 
南モンゴルのゴビ(沙漠)にある酒泉衛星発射基地付近の軍事基地の中国人民解放軍空軍ヘリ(写真:AFP  
     南モンゴルの地方に住む牧民たちが木曜日、近隣で起きたロケット爆発後、地方自治体によって自宅から避難させられた。中国のTwitter新浪微博に投稿され、すぐに削除された写真には、オレンジ色の煙の雲と「中国航空宇宙」のロゴを付けた残骸が写っていた。

地元住民と目撃者は、南モンゴル・オルドス市(鄂尔多斯市)オトグ・ホショー(鄂托克旗)のアルバスでロケットが爆発したとラジオ・フリー・アジア(RFA)に語った。

「私は爆発を目撃しました。煙は赤と黄色でした」と、チャガーンバートルという地元住民が爆発後、RFA漢語放送に語った。「1キロほど離れた所で爆発しました」。

チャガーンバートルは「この爆発によって死者は出ていません。爆発は伝統的な牧戸が住んでいる遠隔地で人口密度が低い地域でした」と語った。

「私たちは移住するよう言われています」。チャガーンバートルは、数戸がブロン湖へ移住して行ったと付け加えた。

写真をネットに投稿したフフは、ロケットは当初ミサイルであると誤報されたと語った。

「私は漢語でまちがって書きましたが、そうです、それはそこに確かに落下したのです。そして、地元当局が現在その地域を封鎖しています」とフフは語った。

「警察も政府も、ここで起こったことについて何も説明していないのです」とフフは付け加えた。

フフはこの写真は友人が撮影したものだと語った。「私は写真を投稿しただけです。写真はすでに1000回以上リツイートされました」

フフは、その爆発は地上で多く人が目撃したと語った。

「大勢の人が爆発を見ました、大変大きな衝撃でした。巨大な穴を残しました」とフフが付け加えた。

フフはまた、当局が残がいを迅速に処理したと語った。

「私は2、3回電話をかけて、事故現場がすでに処理されたことがわかりました」とフフは言った。

「私は新浪微博上の政府系アカウントに個人メッセージをたくさん送りましたが、全く無視されました。それでも私はとにかく投稿し続けたのです」

 

「機密事項」

木曜に電話対応したアルバス地区政府の職員は、その事故について答えなかった。「これは機密事項です。私たちは事件に対して何もできないかも知れません」と職員は語った。「事故」は起こったようであるが、他の部署に確認しなければなりません」。

アルバス警察署で電話に出た担当官も同じように答えた。「これは機密事項のため、どのような情報も提供することはできません」と答えた。

その一方で、この担当官は処理作業がすでに実施されたことを明確にした。

「現在、現場には何も残っていません」と、担当官は付け加えた。

警察は「現在ネットに掲載された写真の出所を捜索中だ」と語った。

「私たちは上層部の命令に従っているだけです」と職員は語った。

一方、RFAから連絡を受けた時、オトグ・ホショー政府で対応した職員は電話を切った。

 

「核実験」

米国ウェブサイト「モンゴリア・ニュース」は木曜日、「ロケット」が東風航空宇宙基地として知られる酒泉衛生打上基地から発射されたミサイルで、地元住民はそれが牧草地の汚染を引き起こすかもしれないと心配していると報告した。

フェイスブックに登録しているモンゴル人ユーザーは、中国共産党が「人命を考慮しない」大がかりな軍事演習を実施しているとフェイスブック(通常のユーザーは中国ではブロックされているが)に書きこんだ。

1950年代から南モンゴルで実施されてきた中国の核実験は、「アラシャー・アイマグ(阿拉善盟)の砂を灼熱に変える人工的な放射能汚染の無数の事例」を引き起こしたとこのユーザーは書き込んでいる。

1950年代に10年間中国の核兵器計画を主管していた人民解放軍の聶栄臻元帥が1985年、自叙伝の中で1964年に南モンゴルのゴビ(沙漠)で中国最初の核爆発が起こったと言及している。ところが、そのような実験の存在は正式には確認されていない。

モンゴル人は南モンゴル全人口2500万の20パーセント足らずを占めるに過ぎないマイノリティで、中国最大の石炭生産地である南モンゴルの破壊と不公平な開発政策について不満をもっている。居住者の圧倒的多数は漢民族である。

取材:Xin Lin、RFA's Mandarin Service. 英訳:Luisetta Mudie

(原文)http://www.smhric.org/news_536.htm

 

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